職人の工芸


  私は個人作家と民芸との関係に就いて意見を述べる前に、職人の工芸に

 就いて書いておく方が順序かと思う。今日までまだ充分にその意義が論じ

 られていないが、私にはこれが一般の注意を喚起するに足りる重要な工芸

 上の問題であると考えられる。


   一

 ここに「職人の工芸」というのは、「個人作家の工芸」に対していうので

ある。世間の需用によって職人の手で作られる無銘の工芸品を指すのである。

かかるものにも色々あろうが、私が最も興味ある対象として考えるのは、特

にその内の実用品である。それ故一言でいえば、「用途のために作られる職

人の工芸」が、私のここで取扱おうとする主題である。

 なぜ私が職人の工芸に強く心を惹かれているか、なぜこれを最も重要な工

芸問題の一つに数えているか、理由は次のことに帰着する。

 宗教に志す者はいつも「神の王国」の実現を語るが、同じように美を想う

者にとって、「美の王国」の実現こそ最高の理念になってくる。凡ての希望

も凡ての努力も凡ての方向も、ここを焦点に目指して進む。少しでも世を美

しくしたいのである。美に関わる凡ての者は、意識するともしないとも、皆

それぞれにこの希いを背負う。

 美の王国の実現とは、美が社会に滲み渡ることである、時代そのものが美

に高められることである。美が凡てのものを支えることである。それぞれに

皆がよい仕事を果たせることである。人間が美で救われる時である。何を作っ

ても美しくなることである。美が当り前なことになる時である。醜が不可能

になることである。美が生活と結ばれることである。そういうこと以外に又

以上に、美の理念があろう筈はない。理念というのは正に人間が有つべき最

後の理念をいうのである。

 この理念の実現に対して、実際一番重要な役目を努めるのは、「美術」よ

りも却って「工芸」である。「工芸」なくしてこの理念の具体化は全然ない。

工芸-どの人間の生活にも交わる工芸-美の領域の大部分を占める工芸-若

し工芸の領域に曇りがあるなら、どうして「美の王国」が輝こうか。工芸な

くして「美の王国」は不可能であり不可解である。これが私の信念である。

 だがその工芸の大部分を占めるものは何か。それは職人の工芸なのである。

就中民衆の日常の用に応ずる工芸である。この実用品の世界を無視するなら、

「美の王国」はあり得ない。これが私の動かない見解である。丁度あの民衆

の救い、「衆生済度」が、凡ての僧侶の心願になるのと同じである。実用品

の質を深めずして、「美の王国」は到来しない。飾り物にのみ美を盛ること

を工芸の任務と考えるその態度を私は許すことが出来ない。かかるものが栄

えても、「美の王国」の到来は遠い。否、その衰えさえ伴う。なぜならこれ

がために実用品への軽視が常に付随してくるからである。だがそれを無視し

て工芸の完成があろうか。当然職人の工芸は、工芸にとっての最も重要な部

門である。工芸を大成するものは職人の工芸である。衆生の救いがなくして

宗教が完うせられないのと同じである。目覚めた僧侶は、その実現のために

準備する。同じように個人作家は、職人工芸のために起つべきではないであ

ろうか。


   二

 だが現象は今不思議な姿を示している。なぜなら個人作家達は、職人の工

芸を軽蔑しているからである。自からそれに近づかないことを誇りにしてい

るからである。自からの救いをのみ考えているからである。そうして実用品

への侮蔑を公言するからである。あの平静であるべき学園の美学者達までが、

「用」の領域を下賎なものとして一蹴する。「職人は芸術家ではない」この

一言がとどめの刃である。

 もとよりかかる侮蔑は理由がないわけではない。実際今日ほど職人の工芸

が堕落している時はないからである。職人の手からは少なくともよいものが

出来難くなっているからである。職人に任せることは、益々美から遠のく所

以になるからである。この事情が職人の工芸に対する軽視を酵してきたので

ある。

 だがかかる趨勢は誰がその罪を負うべきものであるか。私は責任を二つの

事情に帰したい。第一は社会制度の変調による。数多くの職人工芸を歴史の

線上に並べる時、突如としてそれが堕落の相を示してきた時期がある。それ

は実に商業主義の勃興と平行する。日本でいうならば明治十五年から二十年

頃の間である。なぜそうなったか。それは工芸が用を眼目として作られず、

利を主眼として作られるに至ったからである。商業主義は利益至上の主義で

ある。質も美も用も、利の前には果敢ない影に過ぎない。粗悪と卑俗とが品

物の運命となったのは言うを俟たない。位置の弱い職人達は企業家の犠牲で

あった。かかる犠牲の結果が今日の状態を産んだのである。職人によいもの

が出来なくなったのではない。職人によいものを作らせなくなったのである。

職人に過ちはない。生産制度に罪があるのである。(工芸の復興を生涯はかっ

たあのウイリアム・モリスが社会主義者となって街頭に立ったことには必然

な理がある。社会制度が乱れていては「美の王国」は来ないのである。職人

の工芸に正当な生い立ちが不可能になるからである。)

 第二の理由は個人主義の謳歌による。制度が相互補助に立って、人間と人

間とが結合し得た時期は過去に流れた。我の自覚は個人主義へと人々を導い

た。人と人との分離が始まったのである。美も亦個性を中心として表現せら

れた。用に即することが美を産むのではない。個性に即してこそ美は生まれ

るのである。品物は使用者の用に属するのではなく、製作者の個性に依るの

である。かくして工芸にも個人作家が現れるに至った。工芸は「工芸美術」

へと転じた。品物は使うことから見ることへと移った。だが偉大な個性はひ

とり天才の所有である。天才なき民衆に何の芸術があろうか。ここに工芸の

美は職人の手から奪われて、天才の手へと移った。職人の工芸が社会的に美

学的に又経済的に低い位置についたのは、かかる事情の結果である。かくし

て習慣は職人工芸を馬鹿にするに至った。実際職人は卑賎な位置に捨てられ

て、向上の余地がなくなってきたのである。「職人は芸術家ではないのであ

る」。かくしてひとり工芸美術が高い位置をかち得たのである。歴史家も鑑

賞家も亦作家自からも、「工芸美術」の優越を信じて疑わない。しかし果た

して疑う余地がないであろうか。職人への侮蔑をこのままに放置して工芸の

興隆が来るであろうか。果たして個人作家への高き評価のみが、工芸の正当

な進展を齎らすであろうか。私はそれを根本的に疑う者の一人である。


   三

 私は職人達が不当な侮蔑を受けていると考えるが故に、敢えて弁護の位置

に立ちたいのである。そうして何故職人工芸が社会に重要であるか、特に何

故その工芸が美の立場からして重要視さるべきものであるか、そのことを論

じたいのである。

 社会の事情は今日職人の位置を低め作品の出来栄えを醜くしている。これ

が今日の侮蔑を得た直接の原因である。併し読者よ、このことは決して職人

の工芸そのものがつまらないということにはならないのである。少し時代を

溯るなら吾々は素晴らしい作に出逢うではないか。人々が万金を支払うこと

に躊躇しない「大名物」は一つ残らず職人の工芸である。それも名工などが

作ったのではない。あのゴシック時代のどの机にもどの椅子にも銘なんか無

いのである。あの驚嘆すべきペルシャの敷物、萬暦の絨緞、それ等は何も個

人作家の作ではない。あの磁州の素晴らしい絵高麗、その絵付けは子供の役

割だったというではないか。職人達は歴史に最上の工芸を贈ったのである。

今は社会の事情のもとに、それが出来ないというまでである。職人が悪いの

ではない、周囲の事情が悪いのである。

 又こうも言ってよい。若し職人なるものが無学で無智で、生活内容が下賎

であるというなら、それは今も昔も同じであると言ってよい。「大名物」の

作者は何等茶人ではない。まして美学者などではない。だが事情がよかった

がために、優れたものが産めたのである。私達は職人の工芸そのものを卑む

何等の権利をも有ってはいない。責めるなら社会を責めねばならぬ。

 だがしばしば職人は芸術家でないという意味で非難される。「彼等の作に

は個性の深さがなく、美への認識が乏しい。仮令その作がよくとも単なる偶

然に過ぎなく、美への深い理解から生まれたものではない。従って職人の工

芸は格の低い作品に過ぎない」、そう難詰されているのである。実際知識的

なり思想的なりに何も美や工芸の性質に就いて知っていない職人のことであ

る。これ等の非難に対して何も答えることは出来ない。だが「芸術家」など

という苛酷な重税を職人に求めるのは、求める方が無理ではないか。「お前

達には個性の香りがない」などと罵っても、それは魚に向かって、歩けない

のを罵るのと一般である。

 私は思想家として見て、美の知的理解者として見て、個人工芸家が職人達

より優れているという点に不服を申し立てようとするのではない。併しそれ

がために職人の作を卑む態度に二ヶ条の明確な抗議を申し出たいのである。


   四

 今判断を人間に置かずして、品物に置いたとしたらどうであろう。不思議

であるがあれほど理解に勝ち誇る個人作家も、作品に於いては勝味がいたく

薄い。あんなに中世紀のことをよく知っていたモリスは、幾つかの綴織を作っ

たが、ゴシックのタペストリーの前に出て何の顔色があったろうか。てんで

桁が違うとさえ思えるほどである。モリスの偉大は寧ろ理解にあるのであっ

て、作品にあるのではない。無学な朝鮮人が鶏龍山で刷毛目の器を造った。

日本の時めく作家達がその真似をする。だが原品よりよかった場合があった

ろうか。最上の場合でも高々よく真似てあるというぐらいではないか。

 私は議論を公平にするために、個人作家の最高の例を選んでこよう。光悦

に「鷹ヶ峰」と称する有名な茶碗がある。(果たして光悦の真作かどうか私

は知らないが)その作を見ると、兎も角その背後には並ならぬ理解や感覚や

趣味が潜んでいることが分かる。その点に疑いはない。だがこの茶碗に働い

ている作者の美的意識が同時にこの作を毒しなかったろうか。あのわざと引
     ヘラメ
いた一本の篦目や、無造作をねらった手作りの高台は、結局あの茶碗の致命

的な傷ではないか。作意が目の前にちらついて邪魔をしてくる。あんな趣向

さえなくば、遥かによかったであろう。だが茶趣味に捕らえられた悲しさで、

意識の毒を盛り過ぎて了った。彼の作に比べたら朝鮮の下手物であった「筒

井筒」の茶碗は何という自然さであろう。品物がぢかに見える人だったら、

「鷹ヶ峰」より「筒井筒」の方を躊躇なく選ぶであろう。今は直観の力が鈍っ

ているために、鑑賞が「光悦」という名にばかり惹かれている。(若し「筒

井筒」が茶の方で有名でなかたったら、今の人はそれを顧みだにしないであ

ろう。個人作家の作ではないからである)。誠に人として見れば光悦の方が

「井戸」の作者よりも比較出来ないほどに卓越する。特に彼の理解は大した

ものであったと思う。併し作品で見ると光悦の方が大いに負けている。どう

してこんな逆理が起るのであろう。反省するに足りる興味深い問題ではない

か。

 仮りに一歩を譲って「筒井筒」などをつまらぬ作だとする。それなら諸君

はかかるものを讃美し感歎した利休や又光悦自身の眼をどう考えるか。彼等

の鑑賞に並ならぬ深さがあるなら、職人の工芸を卑しむ風習を訂正してよい
                     チカラ
のである。人々は民衆に素晴らしいものを作る能があるのを承認してよいの

である。そうして工芸史の名誉の大部分は職人の功績に依ることを認知して

よいのである。それなら工芸界は方針を立て直す必要があろう。そうしてそ

の運命を個人作家の作にのみ依存することに矛盾を感じるであろう。職人と

工芸との固い結縁に就いてもっと深く内省してよいのである。


   五

 職人の作を卑しむ態度に向かって、私が抗議を申し出たい第二の強い理由

は次のことにかかる。意識ある作家達は、かかる知的理解が職人達にないの

を難詰する。併し知的な意味では理解の持ち合わせが無かったにせよ、他の

道では彼等に優れた理解があったのだと言えないであろうか。よし説明は出

来なかったにせよ、経験的にものがよく分かっていたのである。よいものを

無意識的に作り得たということは、単なる偶然ではなく必然性によるのであ

る。必然にものが分かる事情にいたのである。それが意識を通さなかったと

いうまでに過ぎない。美を産むことに対して、周囲の状態が高かったのであ

る。今の人は顧みて「よく職人にこんなものが出来たものだ」と評するが、

私はそれを無礼な言い方だと思う。理解は何も知識の道が唯一なのではない。

職人達に驚くべき作が出来たのは、物が解っていた証拠だとも言える。否、

知的に解るような道を歩かなかったから、一層易々とものが解ったのだとも

言えよう。個人作家の作が、民芸に優っていた場合がめったにないのはその

活きた証拠である。

 仮りに「筒井筒」を作った無学な職人が、教養のある「鷹ヶ峰」の作者を

顧みて、「君には未だ解っていない所がある」と言ったとしても、全く返す

言葉がないではないか。「なぜあんなわざとらしいものを作るのか」と詰ら

れれば、光悦は汗をかくであろう。彼は必ずや汗をかくだけには解っていた

人だったと思う。だが作った時には「わざとらしさ」を加えて了うほど、解っ

ていなかったと言われても仕方ない。「百済観音」を眺めて、人はよく感歎

して言う、「あんな古い時代によくこんなものが出来たものだ」と。だがな

んという無礼な賛辞であろう。その作者から簡単にこう言われたとて仕方あ

るまい、「君達にこの美しさが分かるのか」と。時代の地平線は美の領域に

於いては昔の方が今よりも高かったのである。科学的文明というような点で

は赤子にも等しかったかもしれぬが、人間の直観的力は遥かに豊富だったに

ちがいない。詩人ブレイクは近代に於いて「想像」の力が弱まっていること

をしばしば嘆いたが、実際人間は科学を得た半面に、直観力を喪失したと言

えよう。昔の無学な職人達に識らずしてよいものが出来たのは時代が保ち得

た直観の力に依る。生産の組織が美の感覚を働かすのに好状態にいたのであ

る。今は沈んでいる職人工芸も、正しい生産制度の許では再びその生命を甦

らすであろう。このことは工芸上の極めて重大な問題である。


   六

 私は進んで職人工芸の美に就いて語ろう。何故その美が私の心をいたく惹

くかを語ろう。なべて今日までは、美を讃える時は、それが偉大なる故に讃

えるのである。併し、私が美の立場からして職人の工芸に重きを置くのは、

却ってそれが「当り前のもの」「素直なもの」「尋常なもの」なるが故なの

である。私はそれ等のものを巨大にして深遠な芸術だという風に讃美するの

ではない。私はそれ等に「平易なるもの」の美を見るからである。私はそれ

等のものを平凡だという意味で謗る考えに不服である。だが同時にそれ等の

ものを「異常なもの」として考えるなら尚不服である。職人工芸の美はその

平常さにあるのである。異常を好む近代人に、この「平常さ」が含む意義ほ

ど解され難いものはないかも知れぬ。(実に私が「平常さ」の美を語る時、

そこに「異常なるもの」をさえ感じるであろう)だが「当り前なもの」とい

うことほど職人工芸の強味はない。個人作家が「異常なもの」をねらうのは、

真にその弱味だと言える。私は次の例に於いてこの真理を簡単に説明するこ

とが出来るであろう。
            ビッコ
 例えば貴方が今不幸にも跛者になったと仮定する。そうしたら「歩けるこ

と」の幸福を今更に感じるであろう。その時歩くことは急に平凡なことでは

なくなって来る。だが健康であった昔には、「歩くこと」ほど平凡なことは

なかったではないか。誰でも往来を歩いている。上は聖人から下は白痴に至

るまで実にうまく歩む。だが上手な歩みも、ここでは平凡なことに過ぎない。

それ故誰もそれを敢えて讃えようとはしないのである。私は健康から来るか

かる平凡さを、今省みているのである。そうしてそれを職人の工芸に譬えた

いのである。それは平凡な職人が誰でも出来る平凡な品物に過ぎない。併し

時代が健康であったが故に、品物は美しいままに平凡ですんだのである。或

は平凡のままに美しかったと言ってもよい。(実に私がかかる平易なるもの

を慕うのは、身自から病的な時代に生まれて跛者になっているからと言って

もよい。)

 私が読者の注意を敢えて促したいのは、この「美」と「平常」との必然な

結合に就いてである。一度時代が健康さに戻ったら、美は必ずや「当り前な

もの」に帰るであろう。私は美への認識として、この「平易なるもの」「尋

常なるもの」以上のものを考えることが出来ない。なぜならそれは美醜の彼

岸にあるからである。ものが美として醜として強く意識されるということは

既に二次的である。真に美しいものを産む時代はその美しさをすら知らぬで

あろう。私達から見て素晴らしいと思う磁州窯の絵も、それを産んだ地方の

人々にはいとも「当り前」なものに過ぎないのである。如何に驚くべきこと

ではないか。凡てが善人になったら、善人などを讃えるものは無くなるであ

ろう。善悪が分かれ戦う間はまだ二次的である。

 流石に老子は図星を指した、「大道廃れて仁義あり・・・国家昏乱して忠

臣あり」と。彼の言葉はいたく鋭い、「天下皆美の美たるを知るは斯れ悪の

み。皆善の善たるを知るは斯れ不善のみ」と。美を知って美を作る。これも

可である。だが知らずして自から美を産む、それは更に可である。美を産む

ことが当り前であるが故に、それが美として意識されないなら、既に状態は

高い。職人の工芸はかかる平易さに生きる工芸である。荘子はこの辺の消息
                               アラワ
を言い破ってこう記した、「未だ始めより是非あるに非る也、是非の彰るる
   カ
や道の虧くる所以也」と。職人の工芸に見られる美しさには、この「是非の

二」がないのである。「是は美しい芸術である」などと考えられたのではな

い。

 だが近代の批評は芸術意識の乏しい個性の香りの淡いものを極めて軽視す

る。個性がきわだっていない職人の工芸は平凡であるとして退けられる。併

し恐らくここに偉大な個人作家が出たら、彼の作は個性の香りを越えたもの

であろう。そうして凡ての臭味を脱した平々坦々たるものであろう。私はか

かる境地に別個の道を通して到達し得た職人の工芸に強い愛を感じる。平凡

に働ける民衆、私はそこに多大の希望を抱くのである。なぜなら美しいもの

を当り前なものとして平気に作れるのは、職人の強味だからである。個人作

家が幅がきかなくなる時代は、決して不幸な時代ではない。無銘品が余りよ

いので、在銘品の必要がなくなる時代こそ慕わしいではないか。凡ての個人

作家は、かかる時代を産むために働いてよいのである。職人を侮り自分の名

を誇る如きは、小さな態度に過ぎない。職に携わる誰もが、よいものを当り

前なるものとして平易に産める時期を準備したい。

 これは空想ではない。歴史に現れた立派な工芸時代は皆そうであったでは

ないか。


                   (打ち込み人 K.TANT)

 【所載:『工芸』 3号 昭和6年3月】
 (出典:新装・柳宗悦選集 第7巻『民と美』春秋社 初版1972年)

(EOF)

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